千葉県の酪農は、技術を重視し、技術革新を積み重ねて発展してきました。それは乳牛改良の歴史に見られるように、全国でも一早くホルスタイン種を導入し、組織的に改良を進め、日本の酪農のリード役を務めてきたことに表れています。
このコーナーでは、昭和36年に「農業基本法」が制定され、現在の酪農の姿が形作られたころからの技術革新の歩みを、酪農界の動きを交えながら、次の3期に分けて、たどってみることにします。
(1)振興拡大期(昭和35年~45年)
(2)発展・転換(昭和45~55年)
(3)需要調整期(昭和56年~平成7年)
経済が高度に発展し、それに連れて牛乳や牛肉などの消費も増え、食生活は高度化・多様化してきました。労働力も一次産業から二次産業・三次産業へと移ってゆき、酪農の労力不足が始まりました。また、酪農を支援する法律や規則などが整備され、農家の生産を支援する体制も整ってきました。
これに対して農家の生産意欲が高まりましたが、少ない労力で多くの乳牛が飼育できるような技術や牛舎・施設の改善、さらには飼料作物生産の機械化などの技術が開発され普及されてゆきました。
日本経済は、昭和48年の石油危機(オイルショック)を境に、従来の高度成長期から低位安定成長期に入りました。
牛乳などの農畜産物は、それまで順調に増えていた消費の伸びが小さくなり、生産量が消費量を上回る状況となりました。このため牛乳の消費量に見合った生産一に抑えるため、昭和54年から「生乳の計画生産による需給調整」が全国的に実施されるようになりました。
また酪農経営に見切りを付けてやめる農家が増える一方で、飼育頭数を増やしたいという農家も増え、一戸当たりの経営規模が大きくなりました。このため、千葉県全体での乳牛飼育頭数や生乳の生産量は変わりませんでした。
これに対応して、乳牛の能力向上や安い自給飼料の生産、さらには経営の規模が拡大する中で発生してきた環境問題解決のための技術などが開発され、普及しました。
昭和47年:乳牛育成牧場設置。
昭和48年:畜産振興課と畜産技術課を併合し、畜産課となる。(環境整備係設置)家畜衛生研究所設置。3試験場に経営公害研究室設置。
昭和50年:酪農試験場に肉牛研究室設置。
昭和51年:酪農試験場、養豚試験場及び養鶏試験場を総合化し、畜産センターを設置(組織は3試験場に加えて、経営研究室・環境保全研究室・自給飼料研究室となる)。家畜保健衛生所に環境指導課設置。
昭和55年:農林水産省畜産試験場が茨城県筑波に移転。
この時期は、円高ドル安が始まり、農畜産物の輸入自由化など市場開放の嬰求が高まってきました。生乳の生産は、消費量を越えて過剰生産になりやすい状態がいぜんとして続いていることから、計画的生産が行なわれています。
平成に入って、3年には牛肉の輸入が自由化され、さらに世界の国々の参加したGAT・ウルグアイラウンド交渉の結果、平成7年から米の部分輸入自由化、その他の農畜産物の市場開放が実施されることになり、酪農も国内の産地どうしでの競争に加えて、外国の安い牛乳・乳製品とも競争せざるをえなくなりました。
これに対応して、安いコストで良質な生乳を生産するための技術が必要となり、バイオテクノロジーなどの先端技術を使った高度な技術導入や飼養方法、衛生対対策などの開発が行なわれています。
昭和59年:嶺岡乳牛試験場に自給飼料分析センター設置。
平成元年:畜産センターにバイオテクノロジー研究棟設置。
平成6年:乳牛育成牧場に受精卵移植用供卵牛の黒毛和牛8頭導入。平成7年にも8頭導入し、16頭体制になる。
平成7年:嶺岡乳牛試験場に「酪農のさと」開設。
年号 | 西暦 | |
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享保13年 | 1728 | 8代将軍吉宗、インド産白牛3頭を嶺岡牧に放つ (寛政4年、桃井源寅に任嘱“白牛酪考”刊行) |
明治元年 | 1868 | 幕府直営の嶺岡牧を官営に改める |
8年 | 1875 | 政府、三里塚に種羊場、遠山村に取香種畜場を設置(明治13年、両場を合併し下総種畜場と改称) |
13年 | 1880 | 下総種畜場で我が国初の獣医実地教育開始 県下の家畜飼養状況 牛:12,721頭、馬:61,832頭 |
17年 | 1884 | 日本初の煉乳工場安房郡大山村に建設 千葉県にはじめて畜産技術者を置く |
18年 | 1885 | 長狭郡大畑村で牛馬共進会、牛馬せり市開始 |
20年 | 1887 | 牛乳プラントに対する貸牛制度始まる |
23年 | 1890 | 嶺岡牧場千葉県民に払い下げ 安房郡畜産会(安房畜協の全身)創立 |
28年 | 1895 | 安房の牛乳、館山港から汽船便で東京に輸送 |
39年 | 1906 | 千葉郡都村に県種畜場開場 安房郡畜牛組合設立、ホルスタイン種による牛種統一を決議(純血種を6代交配させたものを房州ホルスタインとして移出) |
44年 | 1911 | 県種畜場嶺岡分場設置 君津、安房に家畜市場開設 |
45年 | 1912 | 市原、安房、君津、夷隅、山武、長生各郡に県営の種付場を設置 乳牛の泌乳検定開始 |
大正6年 | 1917 | 国立畜産試験場、千葉市(青葉町)に移転 |
9年 | 1920 | 米国から種牡牛輸入(県) 安房地方の生乳、東京へ貨車輸送開始 |
11年 | 1922 | 県農業試験場、千葉郡辺田村移転、県種畜場分場を台併し畜産部を設立 |
昭和4年 | 1929 | 嶺岡種畜場で乳牛人工受精に成功 |
6年 | 1931 | 第一回県畜産共進会 |
13年 | 1938 | 県経済部畜産林務課から畜産課が独立(9月) |
18年 | 1943 | 県下乳業者を統一して、千葉県酪農統制会社設立 |
22年 | 1947 | 乳牛の人工授精普及はじまる |
23年 | 1948 | 県農業共済組合連合会設立 安房郡畜産農業協同組合設立 県販売農業協同組合連合会股立 県購買農業協同組合連合会設立 |
24年 | 1949 | 末広農場用地の払い下げを受け、千葉県総合種畜場を設置 家畜保健所を設置(26年家畜保健衛生所と改称) |
26年 | 1951 | 家畜伝染病予防法公布 |
27年 | 1952 | 県畜産振興対策審議会設置 |
28年 | 1953 | 天皇皇后両陛下、安房乳牛を天覧 有畜農家の創設に力を入れる |
31年 | 1956 | 県畜産会設立 |
33年 | 1958 | 学校給食用牛乳供給事業始まる |
35年 | 1960 | 県家畜商協同組合設立 草地の造成改良(小規模草地改良事業)始まる(富山町、市原市) |
36年 | 1961 | 県草地協会設立 農業基本法公布 畜産物の価格安定等に閣する法律公布 |
38年 | 1963 | 農林部畜産課を畜産振興課、畜産技術課に分離 県総合及び嶺岡両種畜場を畜産試験場、乳牛試験場に改称 中央家畜保健衛生所に病性鑑定施設併設 県酪農農業協同組合連合会設立 |
39年 | 1964 | 支庁制度発足し畜産係が設置される 乳牛育成のため公共牧場設置(富山山町営) |
40年 | 1965 | 家畜3法公布(酪農振興法、加工原料乳生産者補給金等暫定措置法、土地改良法) 指定生乳生産者団体、千葉県生乳販売農業協同組合連合会設立 県人工授精師協会設立 |
41年 | 1966 | 旭食肉センター県下で初めて国庫事業で設置 家畜改良増殖法公布 自衛防疫に移行 第一次酪農近代化計画公表 |
42年 | 1967 | 県家畜改良協会設立 県畜産試験場、八街町に移転 下総御料牧場、新東京国際空港設置に伴い栃木県に移転 |
43年 | 1968 | 県販売購買農業協同組合連合会、県経済農業協同組合連合会に改称 |
44年 | 1969 | 県獣医師会設立 安房家畜市場開設 |
45年 | 1970 | 県内第一号畜産団地誕生(長南町市野々酪農企業団地) 牛の人工妊娠第一号牛誕生 |
46年 | 1971 | 千葉県畜産会館竣工 県家畜畜産物衛生指導協会設立(自衛防疫組織の確立) |
47年 | 1972 | アカパネ病による牛の異常産大量発生(6,311頭) 県乳牛育成牧場設置 県生乳販連と旧県酪連が合併し、新たに千葉県酪農農業協同組合連合会設立(昭和49年日本ホルスタイン登録協会千葉県支部とも合併) 畜産振興課と畜産技術課を併合し、畜産課となる。環境整備係設置 |
48年 | 1973 | 県家畜衛生所設置 飼料価格暴騰、畜産危機をむかえる、畜産経営特別資金融資を実施 畜産危機への対応として、配合飼料価格補てん積立金を県が助成 |
49年 | 1974 | 乳用牛群改良推進事業開始 県下初の農業公社牧場設置事業を移転型として着手(夷隅町須賀谷地区~59) 千葉県化成工業株式会社、へい獣処理操業 |
50年 | 1975 | 香取郡3酪農協の合併により三和酪農協発足 県配合飼料価恪安定基金協会設立 第一回関東乳牛共進会開催(前橋市、2年ごと) 3試験場を畜産センターに改組 |
51年 | 1976 | 畜種複合型団地として公社営畜産基地建設事業に着手(市原市加茂地区~60) |
53年 | 1978 | 生乳及び豚の計画生産開始(県養豚経営安定推進会議設立) |
54年 | 1979 | 県牛乳普及協会設立 農林水産省畜産試験場、茨城県に移転 |
55年 | 1980 | 本県初の牛のヨーネ病発生(富山町) |
57年 | 1982 | 県乳業協同組合設立 第一回牛乳まつり開催(千葉市) |
58年 | 1983 | 円高、豊作等により配合飼料価格の値下がり始まる 酪農振興法を「酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律」に改正 県酪農・肉用牛生産近代化計画樹立 |
59年 | 1984 | 自給飼料分析センター設置(嶺岡乳牛試験場) 県、アメリカから優良種雌牛(受精卵採取用)を初めて輸入 無利子資金の畜産振興資金供給場業始まる(60年から農業改良資金となる) 畜産センターで牛の分割卵による子牛誕生 |
60年 | 1985 | 畜産センター、牛の分割受精卵による雌雄生み分け成功 |
61年 | 1986 | 県酪連、牛乳消費拡大のためのキャンペーン実施 県酪連が生乳検査センター設置(63年6月稼動) |
62年 | 1987 | 牛肉の輸入自由比決定、畜産二法案公布(肉用子牛生産安定等特別措置法、畜安法の改正) |
63年 | 1988 | 社団法人千葉県肉用子牛価格安定基金協会が設立 |
平成2年 | 1990 | 県畜産センター等により、我が国初の「クローン牛」誕生 平成7年度「第10回全日本ホルスタイン共進会」の開催県に決定 「食と緑の博覧会-ちば'90」が幕張メッセで開催 牛肉の輸入自由化はじまる(関税率70%、平成4年度60%、5年度50%) |
3年 | 1991 | 獣医療法制定・獣医師法改正 |
4年 | 1992 | 農林水産省が「新しい食糧・農業・農村政策の方向」を公表 千葉県21世紀農業展望構想を発表 ジュニアホルスタインクラブが結成され、サマースクールを開催 |
5年 | 1993 | 県乳牛育成牧場に受精卵移植用黒毛和種雌8頭を導入 |
6年 | 1994 | 農業粗生産額が5,000億円を突破し、全国第2位に躍進 「農畜産貿易自由化に対応した農林業振興の基本的方策」の策定 |
7年 | 1995 | 第10回全日本ホルスタイン共進会(ファームピア'95inちば)が千葉市で開催され、本県出品牛が名誉賞を受賞 「千葉県酪農のさと」を設置 |
8年 | 1996 | 「千葉県畜産振興基本方針~ゆとりとやりがいのある豊かな畜産経営の確立を目指して~」を策定 県嶺岡乳牛試験場に黒毛和種種牛3頭を兵庫県から導入 |
9年 | 1997 | 「酪農のさと」に白牛5頭をアメリカから輸入し一般公開 「酪農のさと」に白牛の子牛4頭誕生(雌雄各2頭)白牛9頭 千葉県農畜産物の統一キャッチフレーズ「愛情いちばん千葉の農畜産物」のロゴマークを作成・公表 |
10年 | 1998 | 牛乳乳製品の需要拡大を目的とする「'98千葉県牛乳・乳製品フェア」を幕張メッセで開催 千葉県口蹄疫防疫演習を県農業大学校で開催 |
11年 | 1999 | 全国食文化交流プラザ「食メッセちば'99」が11月17日から7日間幕張メッセで開催 |
12年 | 2000 | 宮崎県・北海道で口蹄疫発生 平成6年から農業粗生産額第2位を維持 県畜産課がすべて班体制に移行 |
13年 | 2001 | 組織再編で畜産センターの中に乳牛育成牧場・嶺岡乳牛試験場を統合し、名称を畜産総合研究センター 県家畜衛生研究所を廃止し、業務を中央家畜保健衛生所に統合 白井市に狂牛病1頭が発生 |