今から8千年ほど前の、南アジアやヨーロッパの人々の間では、すでに牛の乳は飲まれていたと考えられています。そして、6千年ほど前のナイル河やチグリス河、ユーフラテス河の周辺に栄えた文明は、バターなどの乳製品を作り出していたのです。
その後、日本にも仏教を通じて牛酪や、酥(そ)と呼ばれる乳製品が伝わりましたが、一部の人が知るだけでした。
時は移り、江戸時代の中頃、徳川8代将軍吉宗が、ここ嶺岡の地に牛を放し酪農を始め、8千年の歴史を経てきた乳文化が日本に花開く基を築いたのです。
人間が哺乳動物の乳を食物として利用するようになったのは、8000年ぐらい前からといわれています。
メソポタミア地方のジャルモでは、地球最古の農村跡(紀元前5000年代前半期)から、家畜化された牛の骨が発見されました。ということは、人間と乳牛のかかわりはもっと古い時代にさかのぼると考えていいでしょう。
年代は不明、エジプト時代のお墓の副葬品(埋葬品)。
死んだ後も現世と同じ生活を送れるようにと、人形などが入っていたことから酪農が行なわれていたと考えられます。
今から約400年前、第11王朝カウィート王女の石棺に書かれていたもの。人間に乳をとられてこの牛は涙を流しているのだそうです。
現在はルーブル美術館で展示されています。(フランス・パリ)
紀元前2900~2750年頃のペルシャのシュメールの新田を復元したもの(の一部)搾乳する様子が、左側にはバターを作る様子が描かれています。
子牛を寄り添わせ、牝牛に刺激を与えることによってはじめて搾乳できたこと、また搾乳は牝牛の背後から行なっていたことがよく示されています。
現在は、大英博物館に展示されています(イギリス・ロンドン)。
この辺りは各地で、紀元前4000年頃に牛乳を利用していたことを示す彫刻がいろいろ発見されています。
その1つ、乳牛を女神として賛えている石版には、牛舎、さく乳、ろ過、そしてチーズかなにかの乳製品をつくっている様子が示されていました。
仏典の中に牛乳、酪、生酢、熟酢、醍醐の五味の記述があります。酪、酢、醍醐ともに牛乳をベースにした食べ物です。
修行中の釈迦が、少女のくれた醍醐を食べたという有名な話がありますががこの釈迦の口にした醍醐は、酸乳(ヨーグルト・サワーミルクのようなもの)か牛乳がゆのようなものだったといわれています。日本でも使われる“醍醐味”という言葉はこの仏教用語からきました。
古い民話に牛乳がチーズにかわってしまった話がでてきます。アラビア商人が砂漠を旅する途中、羊の胃ぶくろに入れていた牛乳が白いかたまりにかわっていたというのです。
これなど、ラクダの背にゆられているうち、羊の胃ぶくろにある酵素が牛乳にはたらいてチーズに変化した例でしょう。このチーズがアジア商人たちによって、紀元前2000年頃、ヨーロッパに伝えられました。
旧約聖書に「乳と蜜の流れる土地」という表現があります。乳と蜜はもっとも理想的な食物として、理想郷を形づくるものと考えられていました。
牛乳の利用、乳製品の製造(とくにチーズ)については、教会の役割がみのがせません。この技術をうけつぎ、広めたのは教会の人たちでした。