酪農事典

酪農の歴史
石に刻まれた歴史 古代エンジプト シュメール メソポタミア地方 インド アラビア 欧米諸国
世界の酪農
世界の牛 アジア・アフリカの酪農の様子 欧米諸国の酪農の様子 日本の酪農の様子
牧場から学校まで
鮮度の保持に注意した工程 牧場での作業 工場での作業 出荷
乳牛と牛乳の性質
乳牛の一生 日本の乳牛 乳牛の習性 乳牛の能力 牛乳はきゅうりよりも固い?
牧場と牛の飼育
飼育方法と牛舎 搾乳機の仕組み 搾乳方法 色々な餌
安房の酪農―はじまりから江戸時代
嶺岡牧のはじまり 房総里見氏の断絶 嶺岡牧における主な作業 徳川吉宗と白牛 白牛酪の製造・販売
安房の酪農―明治初~中期
千葉県の誕生と畜産行政 牛乳販売の始まり 煉乳・製酪事業の始まり 貸し牛と預かり牛 ホルスタイン種「嶺雪号」 千葉酪農の基礎を築いた人々 明治文学と酪農 明治文学に見る東京の牧場 嶺岡牧場の歩み
安房の酪農―明治後期~大正
ミルクロード ミルクホールの賑わい 夢多き英雄たち―牛乳産業の活況 房州ホルスタインの名声
安房の酪農―昭和以降
牛乳営業取締規則の改正と都市近郊の専業酪農 日本最初の人工授精 農乳の排除事件 昭和11年(1936年)の乳牛頭数 大手乳業メーカーの移転奨励 終戦直後の千葉酪農 全国3位の酪農県へ 日本の乳牛改良と房州ホルスタイン 酪農の現状
千葉県の酪農技術革新史
はじめに 振興拡大期(昭和35年~45年) 発展・転換期(昭和46年~55年) 需給調整期(昭和56年~平成7年) 酪農発達史
酪農につくした獣医師の偉業
牛の胎児体内切断術―可世木芳蔵 牛の金物病について―久保又次
畜産総合研究センターについて
畜産総合研究センターについて 畜産総合研究センター(嶺岡乳牛研究所) 畜産総合研究センター(乳牛育成牧場) 中央家畜保健衛生所

酪農の歴史

石に刻まれた歴史

今から8千年ほど前の、南アジアやヨーロッパの人々の間では、すでに牛の乳は飲まれていたと考えられています。そして、6千年ほど前のナイル河やチグリス河、ユーフラテス河の周辺に栄えた文明は、バターなどの乳製品を作り出していたのです。

その後、日本にも仏教を通じて牛酪や、酥(そ)と呼ばれる乳製品が伝わりましたが、一部の人が知るだけでした。
時は移り、江戸時代の中頃、徳川8代将軍吉宗が、ここ嶺岡の地に牛を放し酪農を始め、8千年の歴史を経てきた乳文化が日本に花開く基を築いたのです。

原始

人間が哺乳動物の乳を食物として利用するようになったのは、8000年ぐらい前からといわれています。

メソポタミア地方のジャルモでは、地球最古の農村跡(紀元前5000年代前半期)から、家畜化された牛の骨が発見されました。ということは、人間と乳牛のかかわりはもっと古い時代にさかのぼると考えていいでしょう。

古代エジプト

年代は不明、エジプト時代のお墓の副葬品(埋葬品)。

死んだ後も現世と同じ生活を送れるようにと、人形などが入っていたことから酪農が行なわれていたと考えられます。

今から約400年前、第11王朝カウィート王女の石棺に書かれていたもの。人間に乳をとられてこの牛は涙を流しているのだそうです。

現在はルーブル美術館で展示されています。(フランス・パリ)

シュメール

紀元前2900~2750年頃のペルシャのシュメールの新田を復元したもの(の一部)搾乳する様子が、左側にはバターを作る様子が描かれています。

子牛を寄り添わせ、牝牛に刺激を与えることによってはじめて搾乳できたこと、また搾乳は牝牛の背後から行なっていたことがよく示されています。

現在は、大英博物館に展示されています(イギリス・ロンドン)。

メソポタミア地方

 

この辺りは各地で、紀元前4000年頃に牛乳を利用していたことを示す彫刻がいろいろ発見されています。

その1つ、乳牛を女神として賛えている石版には、牛舎、さく乳、ろ過、そしてチーズかなにかの乳製品をつくっている様子が示されていました。

インド

仏典の中に牛乳、酪、生酢、熟酢、醍醐の五味の記述があります。酪、酢、醍醐ともに牛乳をベースにした食べ物です。

修行中の釈迦が、少女のくれた醍醐を食べたという有名な話がありますががこの釈迦の口にした醍醐は、酸乳(ヨーグルト・サワーミルクのようなもの)か牛乳がゆのようなものだったといわれています。日本でも使われる“醍醐味”という言葉はこの仏教用語からきました。

アラビア

古い民話に牛乳がチーズにかわってしまった話がでてきます。アラビア商人が砂漠を旅する途中、羊の胃ぶくろに入れていた牛乳が白いかたまりにかわっていたというのです。

これなど、ラクダの背にゆられているうち、羊の胃ぶくろにある酵素が牛乳にはたらいてチーズに変化した例でしょう。このチーズがアジア商人たちによって、紀元前2000年頃、ヨーロッパに伝えられました。

欧米諸国

旧約聖書に「乳と蜜の流れる土地」という表現があります。乳と蜜はもっとも理想的な食物として、理想郷を形づくるものと考えられていました。

牛乳の利用、乳製品の製造(とくにチーズ)については、教会の役割がみのがせません。この技術をうけつぎ、広めたのは教会の人たちでした。

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